園長自己紹介


1952年(昭和27年)2月8日生まれ、当年57歳になりました。実はこの写真は5年前のものです。現在はもーちょっと老けていますけど、変えたくないので、もう2,3年はこのままで鯖読んじゃいます。
血液型で性格判断されるのはきらいなので、あまり言いたくないけど、O型の水瓶座。
生粋の久里浜っ子で、学歴も久里浜幼稚園(勿論)を始まりとして、明浜小学校、久里浜中学、県横須賀高とぜんぶ地元です。
久里中に至っては、始業予備鈴が鳴り出してから家を飛び出すと、鳴り終わるまでには校門を抜けているという破格の近さでした。
さすがに大学は東京の仏教関係の大学に通いました。専攻は「インド・チベット関係の哲学と仏教学」
およそ、就職の役にはたたない学問です。面白くもないけど、こんな修士論文も書いています。

■学生生時代に貧乏旅行しました

その後博士課程に入る前、古文書調査のため22歳で2ヶ月ほどひとりでリュックを抱えてインドの奥地を旅しました。
今風に言うと「バックパッカー」で、1日およそ200円から300円で生活するという極限旅行でした。
この原体験は強烈で、一滴でも飲み込めばたちどころに下痢をするという強烈なインドの水道水を毎日がぶがぶと飲んでもだいじょうぶなくらい胃腸は成長しました。
一緒に頭の内容も成長すれば良かったんですが、まあ、そこのところはもうひとつ。
逆に、帰国して日本の水を飲んだ時に強烈な下痢に襲われたのには驚きました。
初めて出かけたこの海外旅行はトラブル続きで、トラブルのとどめは、行っている間に大切に持っていた航空券の航空会社が倒産して帰国できなくなったこと。なんとかたどり着いたバンコクで、ありったけの服と持ち物を売り払い、それでも足りずに、親切な地元の人に担保もなく資金を工面してもらい一番安かったビーマンバングラディッシュ航空のマニラ経由の飛行機に乗ってやっと帰国しました。本当に困っている時に受けた親切は心の底に深く残るものですね。
トラブルも過ぎてしまえば良い想い出です。

帰国後、髭ぼうぼうで家族はしばらく側に近寄ってくれませんでした。でもこの時の体験はその後の私の人生観を変えたような気がします。どうしようもない時は、どうすればどうにかなるのかそんな方法を学んだ気がします。
普段、あまり気にしないでいた、他人が注いでくれている親切のありがたさに気づくことができました。何より、まずくても辛くてもにがくても、生きるために食べることができるようになりました。

いまだに賞味期限切れの食べ物はまず私が食べてみます。
家族はしばらく私の様子を見て、2時間もして何もなければ安心して食べはじめます。
食糧危機になっても自分だけは生きていけると勝手に思いこんでいます。
でも、さすがにこの所年齢を感じて、カビのはえた物はやめるようにしてます。

そして、気持ちさえ通じさせようとする意志があればどんなへたな言葉でも役に立つことを学びました。
ちなみにインドで使用できるのは、ヒンドゥー語とヒングリッシュと呼ばれる極端にインドなまりの英語です。

■幼稚園に入るようになりました

修士課程の頃から空いた時間に幼稚園に手伝いに入るようになりました。
この頃は幼稚園の先生もお母さんたちも、みんな年上で、「あーおばさんばっかだな!」
と思ってました。(ごめんなさい)
ふと気づくと、この所やけに先生もお母さんもとても若くてきれいになったような気がします。よく考えれば、そうじゃなくて、自分が歳をとったのでした。みんな自分の歳は感じずに、他人の歳ばかり気になるもんですね。

■家族は?

奥様がひとりいます。幼稚園で主事の仕事をしています。会計のまとめはすべて奥様の仕事です。職場も食事も3食、常に一緒です。幼稚園のトイレの設計も、子どもたちの制服のデザインも常に2人で相談しています。
子どもは3人。一番上の娘は今年京都へ嫁に行ってしまいました。
一番下の娘は京都の大学を卒業して、我が家から仕事に就いています。
そして、 2番目の息子は幼稚園で副園長として働いています。得意分野を生かして、幼稚園のコンピュータ関連のことはほとんど副園長の役目です。
VINOとCATURという名前のゴールデンレトリバーが2匹います。お寺の角のところに小屋がありますから、みなさんもワンワン、キャンキャンとうるさい声を聞いたことがあるかもしれません。(ご近所さま。お騒がせしております)。声が高い方がCATURです。なんで、こんな名前かというと、私がスペインへ旅行した直後にVINOが仲間入り。当時スペイン語に凝っていたので、適当に語呂の良いVINOになりました。ちなみに意味はワインです。
CATUR(チャトゥル)はサンスクリット語です。意味は数字の4です。これも別に意図はなく、なんとなく語呂が良いのと、足が4本あるから、というとても単純な名前のつけかたをしました。

■面白いこと

面白いことが大好きです。面白い事ってのはつまり「興味深い」ことです。わからないことをどうやったら分かるのか?難題をどうやって解決するのか?ハードルが高ければ高いほど、越えたときの気持ちは格別です。
ちっとも話をしてくれなかった子どもが、毎日声をかけているうちに、にこっと笑ってくれた時の喜びは他に代え難い物があります。なかなか、ご理解いただけなかったお家のかたに何度かお話しをしているうちに、やっと心が通じたなっと思った時、それはそれは素敵な気持ちになれます。

だから趣味は仕事です。だって、子どもたちと身近に触れあい、毎日先生たちと話し合い、お母さんやお父さんがたとお話しできる仕事ってそうはたくさんありません。
もちろんうまくいかない時や落ち込んだりする時もありますが、なるべく、明るく前向きにやっていきたいな!と思っています。

■嫌いなこと

嫌いなことはしばられることです。
もちろん、社会人として常識を持たなければいけない規制は必要ですし、危険を避けるため常識のある範囲の規制は必須ですが、本来、決まり事というのは属しているグループがうまくいくためになるべく少なくあるべきものと思っています。
だから、なるべく園内の決まり事は少なくしたいと思っています。
最小限の規則で、もしどうしても決まりが必要なら仲間の間で相談しながら考えて必要な約束事を作っていけるような、そんな子どもたちが大勢育ってくれたらとても素敵だな!と
そして、そういう幼稚園にしていきたいなあと思っています。

■凝り性

凝り性です。何かに夢中になるとそればっかりに懲ります。
パソコン(その頃はマイコンと呼んでいた)に夢中になった時は往年のTK−80から始まり、AppleII、AMIGAまで購入して毎日キーボードを叩いていました。
高校生の時にバイクが欲しくて、どうしても買ってもらえなかった時は、しつこくしつこくパンフレットをもらってきては毎日毎日眺めてばかりいました。
結局買ってもらえなかったけどね!

陶芸に凝ったときは、アメリカに行って幼児にもできるような陶芸用の絵の具を探してきました。未だに陶芸に必要なものは瀬戸へ直接買い付けに行き、絵の具や釉薬はアメリカから直輸入しています。

英語に凝った時は、朝昼晩NHKのラジオとテレビ講座ばかり聞いていて、チャンネル争いをする家族に見放されました。

その後、タイ語に凝って日常会話程度はこなせるようになりましたが、代償に乗用車に乗ると必ずかかるタイ語のテープにあきれられて、だれも友達が私の車に乗ってくれなくなりました。

以前スペイン語にも懲りましたが、これは中座しました。今のところイタリア語に挑戦していますが、歳をとるに連れ記憶力が低下している自分に嫌気がさしています。

■音楽

音楽は大好きです。クラシックからポピュラーなんでもOKです。ひとときマーラーに凝っていましたが、
今はもう少し肩こらずに聞けるモーツアルトが楽にいけます。なぜか、オペラだけはにがてです。長すぎて入口のところでちょっとひっかかっちゃているのかもしれません。
ポピュラー部門では、お定まりのビートルズ世代です。ストーンズからABBAと軽めのロックを通ってきました。気分が乗るとピアノを叩きます。弾くのではなく叩きます。
友だちは「ピアノを弾く時くらい手袋をはずせよ」といいますが、これは手袋ではなく地指です。でも、なんとか2鍵1度ではなく、1鍵づつ叩くことができます。右手は思いっきり開くと、1オクターブと2音を弾くことができます。楽譜を見ながら弾くのは苦手ですが、メロディーラインさえ覚えられれば、おおよそ適当な和音を付けてそれらしく弾くことはできます。

■坊さんです

久里浜幼稚園の隣にある長安寺の住職でもあります。
時々衣を着けて幼稚園に現れると子どもたちが「あれーー園長先生なにしてんの?」と、声をかけてくれます。
そんなに坊さんらしくないかな?でも、正真正銘の坊さんでもあります。(あまりありがたみがないかもしれないけど)

■髭?

なんで、髭はやしてんの?って、これは、なんと高校時代からの習慣です。
当時、僕は長髪でおかっぱ頭でした。
赤いセーターを着て、歩いていたら後ろから「よーねーちゃん!」と声をかけられました。
「うっそー信じられなーい!」と言われても、でも当時は本当にそうだったんです。それでいやなので髭を生やしました。何度か剃ってしまったこともあります。でも、なんだか前にも増して鼻の下が長くなったような気がして、結局いつのまにやらまたはやしています。
いつのまにかトレードマークとなってしまい、今更剃れなくなりました。
この所髭にまで白いものが混じり正直かなり動揺しています。

■見かけ

あまり園長のようには見えないそうです。初めて来た業者が私の方を見て「えーっと、どなたか幼稚園のかたいらっしゃいませんか?」と言ったので、「あーすいません。今みんな留守しています。」と答えたら諦めて帰ってしまいました。園長のように見えない以上に坊さんのようにも見えないそうです。
ある園児が「園長先生って仏様に似ているね!」って言ったので、大喜びして「どこにてるの?」と聞いたら「目がチョー細いから」といわれてガクッと来ました。
初めてあった人に「私の仕事は何でしょう?」と聞くと、だいたい「寿司屋の板さんとか、飲食関係でしょう」と言われることが多いです。
外国にいると、だいたい中国人か、マレーシア人になります。たまに日本人でしょう?と言われることもあります。

■少年院の教誨師?

毎月1日か2日間、久里浜少年院に言って、収容されている少年たちにお話しをしてきます。もう、25年近くになりますかね。
最初の頃はとてもいやでした。なんでこんな僕が少年たちに話をして、一体どのくらい役に立つのかな?ととても悩みました。でも、話をしているうちに、あんまり説教臭い話をしても、聞いてもらえないことに気づき、身近に起きたいろんなことを話をしていると、とても良く聞いてくれることに気づいてから、少し楽しくなってきました。残念ながら中で経験したことはお話しできませんが、私も毎月通いながらとても勉強させてもらっています。

■宗教も教育も所詮人が幸せになるための道具だと思います

人が悩んでいる時、救ってあげることができたり、相談にのってあげられるのが宗教の本質だと思います。宗教によって悩んだり、怒ったり、けんかになったりするんだったらそんなもの無くてもいいじゃないかとさえ本気で思っています。
お釈迦さまも、悩んでいる人たちをどうやったら救うことができるかで悩み、仏教という道を見いだしたんですから。

幼稚園だって、子どもたちが幸せなおとなになれるためにあるんだと思っています。子どもたちが幸せになるためには、育ててくれる親が幸せじゃなくちゃいけませんですし、周囲の人たちも幸せでなくちゃいけません。

■人生について

なーーんって、かっこいいこと言っちゃって。
よく亡くなった父が言っていました。
「人生がもう1回あれば!なんて言うやつがいるけど、俺はもうたくさんだね。さんざん自分のやりたいようにやってきたから、1回で充分!」その通り、本当に好きなように生きてきた人でした。さすがに、この境地にはまだ至りませんけど、でも私もやり直してみたいとは思いませんね。
なお、蛇足ですが、「生まれ変わったらもう一度今の奥さんと結婚する?」と聞かれたら、まちがいなく僕は「他の人と結婚するよ!」と答えます。誤解のないように!不満があるわけじゃないですが、どうしてももう一度人生やらなきゃいけないんだったら、違う人生に進んでみたいじゃないですか!これは奥様も同じ意見でした。

こんなページ見ている人いねーーよ!と思いながら、それでもこの先続くのでした-

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