■久里浜幼稚園の教育に対する考え

●何にでも興味をもつのが子どもたちです
■各幼稚園を回って写真を撮っているカメラマンが、久里浜幼稚園にいらして1週間ほど続けて子どもたちの様子を撮影していったことがあります。
最後に感想を述べて、「この幼稚園はお世辞じゃなく本当に撮りやすかったですよ」とおっしゃっていました。
「どんなところが撮りやすかったのですか?」と尋ねると、
「どの子も生き生きとしていてカメラを向けたくなるような子ばかりだからですよ。」とのこと。
とても不思議に感じて
「そもそも子どもというのは、どの子だってどうやって撮ったって絵になるような生き生きとした表情を自然と持っているんじゃないですか」と尋ねると、
「いやいやそんなことはないですよ。よその個性を押さえつけられているような幼稚園では、子どもたちがなかなか生き生きとした表情を見せてくれないんですよ。」とお褒めの言葉をちょうだいしました。
その後、新聞記事の取材で1日だけいらしたカメラマン、テレビ番組の収録でいらしたスタッフも同じ感想を持ってくださったようで、とてもうれしく感じました。
■勿論楽しいだけでなりたつのが幼稚園ではありません。悪いことをすればしかる必要があります。決まりを守らなければいけないのは当然ですし、お友だちとけんかをして傷をつけるようなことをしてはいけません。滑り台では順番を待たなければいけませんし、時にはお友だちのために我慢をしなければいけないこともあります。年度初めにお母さんが恋しくて泣く子も大勢います。
しかし、子どもたちの個性を押しつぶしてまで、きちんとした行進やピシッとそろったかけっこ、子どもたちが自分から発言する時間もないほどの押し詰まった保育をしたくはありません。そして、カメラマン氏によれば、こういった保育をする幼稚園の子どもたちは確かにお行儀がとても良いけど写真に撮ってもとてもつまらない表情を浮かべるというのです。
■子どもは本来何にでも大きな興味を持つものなのです。誰か見知らぬ人がいれば、そばに近寄ってきて「あんただれ?」「何してるの?」「どうして来たの?」とうるさい程の質問を浴びせてきますし、見慣れないものがあれば、触れてみたり、押してみたりしてそれが何なのかを確かめたくてしょうがないものなのです。この興味を押しつぶして、
「静かにしなさい!」「お行儀よく先生のお話を聞きなさい!」とばかり言っていると、やがてこうした子どもたちの興味と知識の吸収力は急速にしぼんでいってしまうものです。
私はこうした教育はしたくありません。
■時にはうるさい程の子どもたちの質問にもできるだけ答えてあげられる先生になってほしいと、久里浜幼稚園の先生たちに話しています。楽しいから自然と生き生きとした表情を見せてくれるのでしょう。

●自由気ままが本当の「のびのび」ではありません
■一方、子どもの自由を大切にするあまり、一日中好きなことをしていればいいというような「好き放題の自由教育」の流れもあります。これは自由のはき違いですし、決してここからは本当の意味での「のびのび」とした子は生まれません。
例えば教室で椅子に座って先生のお話を聞くという姿勢は必須です。お友だちが話しているときはその内容を理解して耳を傾け、自分の番を待って話をするというルールも大切です。こうした基本的な姿勢ができて、初めて好きなお話をするという態度が身に付くものでしょう。ただの自由気ままからは決して「のびのびとした子」は育ちません。
適切な指導や、自主的にルールを守る気持ちを持った中での、自由な考えや思考が本当の意味の「のびのびとした子」を育てていくものです。

●一方的な押しつけでなく子どもに理解してもらいます
■やるべきことを常に一方的に子どもたちに要求していると、子どもたちは自分で考えることをやめてしまいます。言われただけのことをしている方が楽だから、「言われたことはやるけど、言われなければやらない」という子になってしまいます。
保育の中では子どもたちに考える時間を与えなければいけません。
これは子どもに注意をするときも一緒です。
例えば子どもが滑り台を逆登りしていた時、(実は子どもたちにとってこれがいちばん面白いんですが)先生が「そんなことしちゃだめ!」としかってやめさせても、面白いので子どもたちはまた同じことをやります。ますます先生が怒って「だめって言ったらだめでしょう!どうしてわからないの!」と言っても、子どもたちはなぜだめなのか理解していないのですからいつになっても同じことを繰り返します。ますます先生は怒り、最後に子どもたちが泣くほど叱り、大人の一方的な押しつけによって子どもは逆登りをしなくなります。でもこれは決して子どもが理解してやめたわけではなく、先生が怖いから、怒られるからやめただけなのです。
■久里浜幼稚園では、子どもに注意をする時に、なぜいけないのかを説明してから怒るようにしています。その場で上から滑ってきた子と軽くぶつからせ、
「ほら、こんなことすると上から来るお友だちとぶつかって痛いでしょう?だから危ないことしないようにしようね!」と注意するようにつとめています。
勿論こうした説明を一度で理解する子は少ないですから、繰り返してやった時に根気よく何度でも理由を説明して注意するようにつとめています。やがて、子どもたちは自分から「なる程危ないんだ」と理解し、逆登りをしなくなるだけでなく、他の子がやっているのを注意するようにさえなります。おとなの一方的な押しつけではなく、自分の頭で理解することがとても重要なのです。
■先日、新しい遊具が入った時、子どもたちはうれしくてみんなでよってたかって遊具に殺到しました。「これは危ないなあ!」とはらはらして見ていたら、その内にある女の子が、
「そんなにみんな来たら上れないじゃないの!」と言い出しました。別の男の子が
「じゃあこっちの子は待ってなよ!」と仲間を分けて、他の子も納得して順番を待っていました。本来ルールというのはこうして必要性に応じて仲間で考えて作り出すものです。強いものから押しつけられたルールは、強いものがいなくなれば守る必要がなくなってしまいます。みんなで決めたルールなら自分から守っていこうという気持ちが生まれてきます。
●自分で考えられる子を育てていきたいと思っています
■幼児期というのはとても記憶力が良いので、繰り返し同じことをやっているとすぐに覚えることができます。決められた時間に息もつかせずに繰り返して同じことをやっていると確かに驚くほど覚えてしまいます。これを利用して幼児期になるべくたくさんのことを覚えさせたり、計算させたりしてしまおうという保育の方法もあります。
しかし、これは決して子どもが理解していることにはなりません。何より一方的に与えられたことだけを集中してやることに慣れてしまいますから、自分から考える習慣を忘れてしまいます。見かけでたくさんの知識を身につけたように見えても、それを活用する方法をまなぶことができません。
■久里浜幼稚園では、なるべく子どもたちに自らの頭で考えさせるようにしています。例えばある子が「この三角はこうやって2個並べると□になるよ」と発言すると、他の子が
「あー俺だってできるぞ!」と出ていって4個並べて長方形を作ります。
「先生!先生!あたしもやるよ」という子どもたちの声が絶えません。仲間と話し合い訂正し合い、いろいろな方法を考える力が、付け刃の知識よりずーっと重要です。

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