3月11日地震に関する報告
反省をこめて、今回の地震に対して幼稚園の対処をご報告します。
■午後2時分地震発生
この時間幼稚園は降園時間で、送迎バスを待つ園児はほとんど園庭に出ていました。地震発生と、その後の揺れの強さから園長が判断して、園児をすぐに園庭の中心部に集め、担任は園舎に園児が残っていないかを確認後、園児とともに園庭中心部に避難しました。この時点でかなり強い横揺れがあり、すぐに停電となりました。
発生とほとんど時を同じくした停電により、園庭のからくり時計がおおよその地震発生時刻を示して停まっていました。
しばらくして揺れが収まってきたため、園バスの運行を再開するか迷いましたが、(このまま送迎を続ける手段も考えられました。現にしばらくは園バスの運行を続けた幼稚園もあったようです。)
しかし、
道路を確認すると信号機がまったく機能していません。信号機の回復も時間がかかりそうなため、道路走行の危険性を感じ、バスの運行を中止し、お迎えを待つことにしました。
お迎えにいらっしゃっていただけるまでに、@残っている園児の安全な確保 A確実な保護者へのわたし B園児の不安をできるだけとりのぞいてあげること の3つを優先課題とすることを決めました。
まず、残っている園児の名前を確認し、お迎えにいらしたかたへのわたしのたびに、名簿をチェックすることとしました。
30分ほどは園庭の中心部で避難していました。幸いお天気がよく、ひなたは暖かったのですが、徐々に日がかげり寒さがにじりよってきました。
余震の危険性を考えて、構造が単純で地震体制のもっとも高いと思われるホールに、外履きのまま園児を集めました。
お迎えをお願いするために2通緊急メールをうちましたが、携帯メールの輻輳のために、発信は行われたものの、着信できたかたと、着信できなかったかたがいらっしゃったようです。それでも一部でも緊急にメールが着信できたことで、混乱と保護者のかたがたの不安を少しでも和らげる効果はあったと思います。
久里浜幼稚園の固定電話の1本は、災害時の優先順位をあげていただいていますので、一部は着信が可能だったのですが、園児の保護に人員を割いていたために、固定電話へのお問い合わせに十分に対応できなかったのは反省材料です。さらに、優先順位が上とは言うものの、あまりの送話量で一時的に一般回線もパンクしていたようです。緊急時にいかにして保護者のみなさまへ正確な情報をお届けできるかは今後の課題です。
停電が長引きそうなため、自家発電装置を倉庫から出し、灯りと暖房に使うために起動しました。工事現場で使用する大型の発電装置ですので、かなりの要領があるので、とても助かりました。
問題は使用するガソリンの補給で、まんがいちの事態に備えて半分まで保存していたガソリンはおよそ4時間分で、決して十分ではありませんでした。結果的には最後のかたがお迎えにいらっしゃった時間まで、かろうじて保ちました。
普段から大量のガソリンを保存することは危険なので、このような場合、自家用車からガソリンを抜いて、非常用の燃料の備えとする必要があることに気づきました。
発電機を使用した1Kwの照明2灯が、暗くなってきた室内を照らし、子どもたちの不安を和らげるのに役立ちました。また石油ファンヒーターも燃料が石油だというものの、動かすためには電気が欠かせません。寒くなってきた室内でも、発電装置につながった2台の石油ファンヒーターが子どもたちを暖めてくれました。
ホールでは先生たちが子どもたちの不安を和らげるために交代で手遊びや歌をうたってお迎えを待ちました。
午後6時半頃には、お迎えもすすみ、残っている子どもたちの人数も30人程度になっために、暖房の効かないホールから、教室に移って、ほとんどの先生たちが子どもたちのそばにつきました。おやつをつまみ暖かなお茶を飲んで空腹をいやしました。
幼稚園の門からホールにかけては真っ暗になってしまったために、なんと作品展のお化け屋敷でしようしていたハンドライトを大量動員して、道筋を照らしました。寒くなった門からホール前にかけては、何人かの先生がお迎えのかたを待つために残りました。
午後7時少し前に、最後の園児のおわたしが完了。電気と暖房が残っている教室に先生全員と運転手さんが集まり、最後の電源の始末と、出した機材の片付けを確認しておよそ7時30分には職員が解散しました。
京急とJRは運休中。夜中まで開通は無理だろうと考え、それぞれ友だちの家に泊めてもらった先生。堀之内、浦賀まで歩いて帰宅した先生と方法を工夫して帰宅しました。お迎えを待つ先生何名かは園長宅にてお迎えを待ちました。
以上ご報告します。
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