子供だけじゃなく大人も褒められるが好き

教育は「褒める」ことから始まる

■怒るときは名前を連呼してはいけない
 先日犬の調教師の先生とお話しをしていたら、犬を叱るときにその犬の名前を言って叱ってはいけないと言われました。私の家の犬は「ビーノ」と「チャトル」って名があるんですが、どうしても、言うことを聞かないと「こら!ビーノ!ビーノったら!静かにしなさい」と怒ってしまいます。ところがほめる時にはあまり名前を言わない。犬の立場で考えると、いつも怒られる時にだけ「ビーノ」と声高く叫ばれるわけです.。
 結果として、「このビーノという言葉は怒られる時に言われるいやなことばだ」と理解してしまうんだそうです。それじゃ怒る時にはどうしたらいいのかというと、新聞紙を丸めて、これを机や床にたたきつけると大きな音がして、これで怒っているという表現をあらわす。あくまで、犬の名前を連呼して怒ってはいけないということです。

 さて、犬のお話しをそのまま人間の子供に当てはめるわけにはいきませんが、それでも思い当たるふしがありますね。お母さんがたもどうですか?お子さんを怒る時に大きな声で「としちゃん!!!」と怒っていらっしゃらないですか。その後に続くはずの「どうしていけないのか」の説明より、大きな声の「としちゃん」だけが子どもの心に残ってしまうんじゃないでしょうか?
 まさか、人間の子供を叱るのに、新聞紙をたたきつけるわけにもいきませんし、人間の子供はちゃんと言葉を理解できるのですから、言葉で「何がいけないのか。どうしていけないのか。どんな時にいけないのか」をちゃんと説明した上で怒るのが正解でしょう。
 でも怒るってことは、確かに理屈でなく感情で、簡単に言えばイライラしたり、カッかする自分の感情を表現しなくちゃいけないわけですから、いつもこんな調子で冷静でいられるわけにもいかないのは承知しています。頭にあまり子供の名前ばかり何度も強く呼ばずに、全体としてお母さんは怒ってるんだぞという表現をしたらいいんじゃないでしょうかね。
 私の子供だった頃一緒に遊んでいた子の中に、いつも日常的に母親になぐられていた子がいました。「しんちゃん!(仮名)」という言葉とともにすぐに頭にパンチがとんでくるんですが、その子はもうこのパンチに慣れっこになっていまして、母親が「しんちゃん!」と言ったとたんに、ぱっと前にかがんで、パンチをよける反射的な感覚を養っていました。「しんちゃん!」と「パンチ」が一連の動作でワンパックになって記憶に刷り込まれているわけです。ところが、その子は学校で友達に「しんちゃん!」と大声で呼ばた時も、ビクッと首を動かすんですね。先生に「しんちゃん!」と呼ばれるともう前にかがむ動作に近い反応をしていました。
 かわいい子どもたちの大切な名前が、親の怒りや、パンチに直結して記憶されてしまってはやっぱりよくないですよ。

■子供を叱ったら同じ数だけ褒める
 さて「怒られる」の反対語は「ほめられる」で、こちらは誰でも心地よいから大好きです。
 人間って文句や苦情はどうしても相手に伝えたいですから、確実に言葉にして発することができます。ところが、うれしいとか楽しいとか、「上手にできたね」とか「今日は良い子にしてたね」、なんてほめ言葉は、いつでも伝えられると思ってあと回しになってしまいます。特に日本人はほめるということが、にがてらしいんです。自分の心の中にありさえすれば、うれしさや楽しさや、こちらの喜びは自然に相手に伝わるだろうという意識があるんだと思います。
 お家で子どもたちに相対しているとき、お母さんが発する言葉の中で、文句を言ったり叱る言葉と、お母さんのうれしさや喜びを表現したりほめたりする言葉を比べてどっちが多いですか?まあ、一般的に言って、圧倒的に叱る方が多いんじゃないでしょうか?
 私が子供だった頃、妹とシーソーごっこをして母が嫁入りに持ってきたという大きな姿見の鏡を壊してしまったことがあります。「これは怒られるぞ」と思ったら、まず飛び散ったガラスをどけながら、「だいじょうぶ、どこか怪我しなかった?」と聞かれました。「これはお母さんがお嫁に来るときにおばあちゃんが買ってくれた大事な鏡だったんだけど、まあ、2人とも怪我しなかったらいいや!」と言われた言葉は、未だに深く記憶に残っています。その頃怒られた事もいっぱいあったけど、そんなのはぜんぶきれいに忘れてしまいました。でもあの時の母の言葉はきっと一生忘れることができませんね。
 子供にとっては、むしろ「ほめる言葉」や「親のうれしさや喜びを表現する言葉」の方がずーっと効果的なんです。
「子供を叱ったら、同じ数だけ褒めてあげなさい」と言いますが、その通り、褒めるところがなかったら、同じ数だけ無理矢理いいところ探しても褒めてやる必要があります。
 子供は叱られたり怒られたりすることで、何が悪いかを学び、褒められたり親の気持ちの良さを表す言葉から、何が良いのかを学んでいきます。つまりこの2つはバランスがとれていなければいけないんです。

■おとなだって褒められるのが好き
 子供に対してはご理解いただけたと思うんですが、実はおとな同士の場合も褒めることがとても重要なんだそうです。おとなになると、照れくささが入ってつい人を褒めることを省略しちゃいます。
 例えば夫婦相互のお話しで、
「今日はうちの奥さんなんだか機嫌良くて、愛想いいなあ」と思っても、なかなか
「おっ今日はかわいいね!」なんて恥ずかしくて口に出せないもんです。「そんなことは長年一緒にいるんだから言わなくても分かってるでしょ!」と言いたくなるんですが、あえてこれを口に出すとうまくいくんですね。
 旦那様が髪型を変えてきたとき、「おっとかっこいいじゃん!」と言うと、きっとご機嫌良くなります。褒める時に重要なのは具体性をともなった褒め言葉を使うこと。例えば「前の方のツンツンかっこいいじゃん!若返ったみたいよ!」などの具体的な表現があると、お世辞じゃなくて、本当に良いと思ってるんだなあと、もっとうれしくなります。

■運動会が度々延期になった時の励ましのお手紙で生き返りました
 1昨年雨続きで運動会が何度も延期になったとき、かなり強い苦情の電話やお手紙をいくつかいただき、先生たちは延期になるたびに、準備と片づけを繰り返し、そのたびに早朝出勤となってみんなが肉体的にも精神的にもかなりまいっていました。普段お気楽モード全開の私も、さすがにこんな時には毎日天気予報をながめて胃の痛くなる思いでした。
 こんな時にいただいたいくつかのお家のかたからのお手紙がどんなに励みになったことか。
「お天気は園長先生のせいじゃないのに、自分のことのように謝っていらっしゃる姿勢に感動しました。実りのない毎日の準備と片づけでさぞかしお疲れのことと思います。私たちも応援しています。がんばってください」なんてお手紙をいただいた時はほんと涙が出てくるかと思いましたよ。そして、苦情ばかりじゃなく褒める言葉がおとなさえも成長させてくれることを実感しました。

■普段の生活でちゃんと他人を褒められているか
 例えば食事に行ったレストランのウエィトレスの態度が悪いときや、お店の店員の対応が悪いとき、料理が温るかった時なんか、あまりひどいと文句をいいます。ところが、「今日の人すげー感じよかったなあ」とか「今日の料理うまかったね」と思ってもなかなかこれは口に出しません。子供に対して「一言叱ったら、一言褒めてあげる」と言っているのに、社会生活ではこれを実行していないことになります。
これも同じ、文句を言うのと同じ数だけ褒めてあげる必要があるのでしょう。
 「いやー今日のハンバーグおいしかったよ!特にソースが最高、また来るね!」なんて言うと、お店の人もうれしくなってきっとそのハンバーグは次にはもっとおいしくなることでしょう。つまり、文句と褒め言葉のバランスでおとなさえも、相手が何を快に思い、何を不快に思うかを理解していくのです。これがコミュニケーションの基本です。この基本をつい忘れがちになるものなのです。

■園長が幼稚園で先生に対して
 かく言う私も反省しています。先生たちがうまくできない時に文句を言ってばかりで、「あー今のいいなあ」と思ったときには褒めることを忘れがちです。
 例えば先生がお家のかたと電話をしている時、
「ちょっと、今の言葉じゃ、ちゃんと内容が伝わらないよ!もっとはっきりと話して」なんて文句は言うんですが、逆に、
「今の電話よかったよ、あーいう風に話せばちゃんと理解してくれるよ」と思ったとき、その場ですぐに褒められるように気を付けています。

■文句を言うのはたやすく、うまく褒めるのは難しい
 「褒めじょうず」なんて言われる人の褒め方を見ていると、
@褒め方が具体的で、まとをついている。お世辞じゃないように褒める。
A褒めるタイミングがうまくて、間をおかず褒める
B文句を言うべき時には文句を言う
このように感じます。
知り合いの園長先生は、自分の所の先生を見るたびに、
「今日先生、きれいやなあー!何かええことあったん?」といつも褒めています。こうしている本当にもっと先生がきれいになってくんですって。
それで、私もまねして家の先生に同じ事言ったら
「それってセクハラですよ」と言われてしまいました。褒め言葉にもTPOと褒める人のキャラにあった褒め方というのがあるようですね。私の場合は単なるすけべ中年おやじになってしまいました。

■褒めることでお互いに成長していきましょう
 そこで最後にお願いです。なんだこんなこと言うために長々と文章書いてきたのかと、それこそ叱られそうですが、
 どうぞ、自分の子供さんに対して気をつかうように、先生に対しても、良かったら具体的に褒めてあげてください。お家のかたからの褒め言葉がどんなに先生を成長させることか。
 先生たちは、年度最後にいただく「暖ったかメール」を、大事に大事に穴の空くほど読み続け、大げさに言うと、人生の宝物として保存しています。それほど人間にとって他人から褒められるということが成長の糧となるのです。
 ついでに、時々思い出した時でも結構ですから、園長にもちょっとだけお褒めの言葉いただけるとうれしいなぁ!(ずーずーしいかな?)


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