学校の安全について

10年前のアメリカの公立学校は
10年ほど前にアメリカへ旅行へ行き、ロサンゼルスにいる日本人の友達と会いました。彼は家族ごとロサンゼルスに移住しているのですが、久しぶりに楽しい時を過ごしました。彼には2人の娘がいて、アメリカの学校へ通っているということで、どこの学校へ通っているのかを尋ねると、地元の私立高校と私立小学校へ通っているとのこと。「へぇー授業料高いでしょう!なんで公立へ入れないの?」と尋ねると、「とんでもない。公立の学校なんて、暴力と、ドラッグとピストルで、まっとうな教育望めないから、無理してでも子供は私立へ入れるんだよ」とのお話に驚きました。次の日に、彼の車でその公立学校のそばをたまたま通りかかって、彼が「これがその学校だよ!」と教えてくれたのですが、なんと学校の周りには高さ10m以上はあるフェンスが張り巡らされており、その上には鉄条網も張られていました。門の所には空港並みの金属探知器が設置してあって、父母はもちろん、生徒でさえも行きと帰りにこの門をくぐってチェックを受けなければ学校の中に入ることさえできません。「こんなことしても、時々中で警察を呼ぶ騒ぎがおきるんだぜ!」と言われて、とてもショックを受けた覚えがあります。そしてもっと驚いたのは、その金属探知器は外部から持ち込む凶器をチェックするためではなく、生徒たちが持ち込む凶器をチェックするためだと聞かされたことです。
その後何年かたって、再び彼と会って話をしたときに学校のことを思い出し、「アメリカの公立学校って、今でも荒れてるの?」と尋ねると、「いやーとんだもない、もっとずーっとひどくなってるぜ」と言われました。あれよりひどくなるって一体どんななんだろう?と驚きです。10年前は、ロサンゼルスなどの大都市の学校にだけあった問題が、地方の田舎都市まで同じ様な状態になってしまったということ。先日のアメリカの大学で起きた発砲事件も決して大都市ではない、閑静な地方都市でおきましたから、残念ながら友人の話は事実のようです。

そして今の日本は
そしてあの時アメリカでびっくりしたことが、いつの間にか日本で現在当たり前になろうとしています。先日ある幼稚園を見学して驚きました。あの時のアメリカの小学校と同じように、鉄条網はなかったものの、高い塀が外部からの新入を防ぎ、門は固く閉ざされていて、中に入る為にはインターフォンで職員室を呼び出し、顔を確認してからでなくては入れません。別の幼稚園では父母にセキュリティーカードを配ってこのカードがないと子供のお迎えにさえ行けないシステムを作ったという話を聞きました。
  こんなことをしなければ子供の安全が守れないというのはとても悲しいことですね。そして、こんないやなことまで、どうしてアメリカの後追いをしなければいけないんでしょう?

どんなセキュリティーが有効か?
  池田小学校の事件は衝撃的でした。あの事件を境に日本の学校は閉鎖的な方向へ転換しました。文部科学省もそれまでは、近隣に開かれた学校、近隣の人たちが気楽に立ち寄れる学校になろうという指導をしていましたが、あれ以降その方針が一変してしまいました。
  もちろん子供たちの安全ははずすことのできない大命題です。どんなことがあったも学校内の子供たちの安全が脅かされてはなりません。
  ところが一体どういうセキュリティーが有効か?という一番肝心な点について議論がつくされていないように思えてなりません。
 池田町の事件後すぐに、幼稚園の門に警備員を雇った幼稚園が現れました。ところがあきれたことに事件が風化していった1年後に訪れてみたら、もう警備員はいませんでした。「警備員にかかる人件費が馬鹿にならず、みんながあまり騒がなくなったから、警備員はやめました。」というお話でした。そんな馬鹿な!つまり事故をふせぐために警備員をおいたのではなく、親に「この幼稚園はこんなにちゃんと警備をしているんだぞ!」ということをアピールするだけのために警備委員をおいたのでした。だから、親の関心が薄くなるといつの間にか警備員は消えてしまうのです。
 監視カメラについても同様です。いくつかの幼稚園の監視カメラを見せていただきました。良く考えないであわててカメラをつけた幼稚園は、監視カメラのモニターを普段人がいない場所に設置してしまいました。せっかくカメラをつけても、一日中誰かがこのモニターを見続けていなければ事件を防ぐ効果はありません。仮に録画機能があったとしても、学校における事件の多くは起きてしまってから、その犯人を特定できるのでは遅すぎます。起きる前に警報できるような仕組みでなくては効果がありません。つまりこのカメラも、親に対するアピールのためだけにつけたようなものです。


とじる