子どもは何にでも興味を持つ

 雨が降った後の水たまり。おとなにとっては歩くのにじゃまで、くつは汚れるし、服に泥ははねるし、やっかいなだけの存在です。
ところが、子供たちはこの水たまりをわざわざ選んで入っていきます。左の写真を見たら、お母さんの悲鳴が聞こえてきそうですね。まだまだこんなもんじゃありません。水たまりの中にしゃがみこんで、お友達と夢中で泥遊びを始めたらもうたいへん、気がつくとおしりはどっぷりと水につかりどろどろ。パンツまでびっしょになっても、気づかずに平気で遊んでいます。なんでこんなに夢中になれるんでしょうかね?
これは、子供たちが本来持っている、特別に強い好奇心によるものなのです。子供たちはこの強い好奇心によって、周囲にあるもの、起こることのすべてに興味を持ちます。「これなんだろう?」「ここを押したらどうなるんだろう?」「水の中には何があるんだろう?」と、対象をかまわず、何んでもかんでも興味を持って、触れて、場合によれば嘗めてみたりさえします。
この強い好奇心は、おとなに成長するためにとても大切なもので、これによって子供たちはさまざまなことを学んでいきます。

これは何?と言う気持ちが大切
だから、写真のように水たまりに入っていく子供の方が、こどもらしい正常な子供なのです。
お母さんがたにとっては頭の痛い子供たちの好奇心ですが、むしろ子供たちのスクスクとした成長の証です。
この好奇心をあまり強くしかってしまっては、せっかくの子供たちの好奇心が薄れていってしまいます。

こんなところに幼稚園という教育の場所という強みがあります
久里浜幼稚園では、こういった子供たちの好奇心をなるべく規制しないように、場合によれば見守っているような姿勢をとります。しかし、家庭ではなかなかこうはいきません。
「もう、ドロドロになっちゃって、そんなとこ入らないで早く帰って洗いましょう」となるのはしかたがないことでしょう。
このために、わざわざ幼稚園ではいっぱい着替えの服を用意しています。雨の降った後などはこうした貸し出しの着替えの服が品切れになるほどです。
もちろん、危険がある場合や、他人に迷惑をかける場合には先生たちは注意をしますし、時間に集まらなければいけない時には、こうしたあそびを規制することはありますが、
なるべく、子供たちの心から生まれた遊びを大切にし、強い好奇心を満足させてあげることに気をはらっているつもりです。

どろだんご遊びが科学の始まり
「子供たちの科学する心の芽生えは砂場で育つ」という話がありました。久里浜幼稚園の子供たちの得意技は、どろだんご作り。
たかが「どろだんご」と馬鹿にしてはいけません。子供たちのお話に耳をすませてください。
幼稚園のどのあたりの砂を中心に入れ、水をどのぐらい加え、表面はどのあたりの砂を使ってきれいしあげると、きれいな固いだんごができるか、ちゃんと子供たちは工夫をしています。しかも、その知識は友達を通じて幼稚園中に広がっていきます。
時々幼稚園の園庭のとんでもないところに、穴があくことがあります。見ると子供たちは必死に砂を掘ってだんごを作っています。おかげで、暗くなってから園内を歩く僕はうっかり足をくじいてしまったこともあります。仲間同士、年上の子供たちから年下の子供たちへのお話の伝達によって「このあたりの砂がいいぞ!」と伝わった証拠です。小さな手で作られた大きな穴は、子供たちの成長の証です。
りっぱな団子ができると、今度は隠し場所探しです。仲間と一緒にあるいは自分だけで、秘密の隠し場所を作り、ここに大切な団子を隠します。木の間や、建物の陰、草の間などが秘密の隠し場所になります。
時々植木の陰から、ごろごろと団子がでてくることがあります。
先日の卒業式の後、激しく泣いている子がいました。どうしたのか声をかけたら、お母さんが
「いつも大切なだんごを作って隠していたのに、卒業式が終わって家に持って帰ろうと思ったら強い雨があたってこわれてしまっていたんですよ」とのこと。
「たかが団子のことで何で泣くの」、なんて言わないでください。この子はとても大切な経験をしました。団子を雨のあたる場所に置くと、強い雨があたってこわれてしまうことを。そして、その団子はその子にとって、本当にとてもとても大切なもんだったってことを。

大切なのは子供たちの自発的な遊びの心
団子作りがどんなに面白いものでも、不思議なことにこれが授業になってしまうと面白くもなんともなくなります。以前、砂場あそびを幼稚園のカリキュラムにとりいれた幼稚園がありました。時間を決めて、きれいに手入れの行き届いた砂場で、決められた砂遊びをするというすばらしいカリキュラムが組んでありました。
「なんで、そんなことするかなぁ?」と思った僕はその保育の時間を見学させていただきました。案の定、次々とやってくる子供たちはつまらなそうに、砂場できめられた形をつくっていました。時間が終了すると、先生がほうきできれいに砂をならします。そうするとまた次のクラスがやってきます。またつまらない砂場あそびの時間が始まりました。
園長先生はとても得意そうに解説してくださいましたが、僕は久里浜幼稚園でこんな砂遊びはさせたくないなぁと思いました。まあ幼稚園もさまざまですから。
おとなでも良く言うじゃないですか。「どんなに楽しい趣味でも、仕事になったとたんにつまらなくなる」と。なぜ面白くなくなるかというと、目的がちがうからです。
おとなの趣味も、子供のだんごづくりも目的はありません。行う目的はただ楽しいからです。ところが仕事になったり、授業になったとたん、これを学ばせるというカリキュラムが生まれ、何を学ばせるためにという目的ができきます。趣味も仕事になったとたん、いつまでにどのくらい何を作り、いくらで販売し、どのくらい利益をあげなければならないという目的がでてきてしまいます。
面白いことが面白いのは、目的もなく楽しいからなのです。
だから、大切なのは自発的に出てくる子供たちの遊びの心なのです。これを触発しているのは最初にのべた強い子供たちの好奇心です。

決められたことをやっているのと、子供たちがやりたくてやっているのでは全く結果が違います
幼稚園での生活は、大きく分けて教室での活動、園庭の活動と分かれます。教室で活動していると、ああお勉強しているなあ、という印象をいだきます。園庭で活動していると、ああ体を動かして活動をしているなぁと印象を持ちます。
ところが、僕はこう2つに分けるべきだと思うんです。1つは先生に言われてやっている活動、もう1つは自発的に自分で考えてやっている活動。これは両方とも大切ですが、このバランスが大切なんだと思います。
みかけは教室での活動でお勉強しているように見えても、子供が自分から興味を抱いて考えて活動していれば、これは自発的な活動。外で体を動かしているから、元気な子供が自由に動きまわっているように見えても、よく見ると決められただけの活動をしていることもあります。これは先生に言われてやっている活動に属します。
時々、幼稚園の生活すべてが決められたリズムで、決められた規則のみで成り立っている幼稚園があります。
みかけは、子供たちがとても良く先生の言うことを聞き、はきはきと行動し、外で活動もしていますから、なかなかのもんだなぁと感じられるんですが、これはとても危険です。子供たちは言われた事だけをこなし、自分で考えたり活動をする必要がなくなりますから、これをだんだんと忘れていってしまいます。
以前にこういう幼稚園に行った時に、とても不思議に思いました。だいたいどの幼稚園に見学に行っても、子供たちが寄ってきて「ねえ、あんた誰?」「ねえ、何しに来たの?」と声をかけてくるんですが、これがないんです。どの子も礼儀正しく、「おはようございます」なんてあいさつをしてはくれるんですが、「何であんたがここにいるの?」と疑問をもたないんです。
まさに、この子供たちは強い好奇心をなくしてしまっているんだと思いました。

子供たちの強い好奇心を大切に
おとなになっても、こどもの強い好奇心を失わない人もいます。うっかり毎日の生活にうもれてしまうと、これを忘れてしまいますが、こんな時は子供たちが良い先生です。
歩いていれば、わざわざ水たまりに入り、道ばたに生えている花にさわり、空を見れば、ただの雲に機関車やお母さんの顔を見つけ、列を作っているアリを眺め出すと時間が経つのを忘れる。こんな気持ちをおとなになっても持ち続けているってすてきなことだと思います。
まあ、おとなは毎日こんなことやってるわけにもいきませんが、
せめて、ちょっと気持ちの余裕が有るとき、逆に疲れてどうしようもなくなった時、こんな気持ちを取り戻すと、子供たちの活力をもらえるかもしれません。


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